

100年の計
「森づくりは100年」とよく言われます。 私たちの扱う天然木に至っては樹齢300年ですから、木の遠くなるような話です。 現在、我が国は森林資源が豊富にあるのにも関わらず、多くの木材を輸入しています。 安価な外材の台頭とコスト競争の中にある住宅建築、これにより各地域の山林は疲弊しています。 「木っても売れない」「売ったところで採算が合わない」… 日本の推し進めてきた林野行政に疑問を投げかけ、責任を追及する声もあります。 これは絶対に間違っている… だから日本はだめなんだ… もっとこうしたらいいのに…議論はつきません。 私は思います。 もうこれ以上、現状の問題点について議論をし、エネルギーを費やすのをやめませんか? これからの地域や日本を担っていくは、子どもたちです。 そして木が好きで集った、林業や木工職人を志す学生。 彼らにしっかりとした知見を養ってもらうための活動=言ってみれば「森林教育」 こちらにエネルギーを投資していきませんか? すべきこと。 それは、大きな組織や団体をつくって、国や行政に政策提言をしていくのではなく、 皆さんそれぞれの立場で


奇跡の森
草木が種から芽を出して生長することを「実生」と呼ぶ。 林床におちた無数の種は、芽を出す瞬間をじっと待ち続けている。 適度な水分と適度な光…その絶妙の組み合わせにより発芽の時を迎える。 少しでも動かされると芽を出すことはないそうだ。 葉から落ちる滴でさえ、その阻害要因となる。芽を出すことがまず奇跡に近いのだ。 ようやく発芽をしても、ここからがまた苦難の連続。 周囲の雑草や笹などに負けてしまったり、動物に食べられてしまったり、もちろん栄養が不足すれば枯れてしまう… とにかく光を求めて上へ上へ伸びていく。 ある程度の高さになって、ようやく一安心と思えば、次は仲間との競争。 もちろん、ここでも淘汰は起こる。 仲間との競争に勝ち、もう遮るものはないかと思えば、強雨や豪雪、台風など、自然との闘い… この森が300年以上の歳月を経て、私たちの目の前に存在していることは、もはや「奇跡」と呼べるのかもしれない。 幾多の困難を乗り越え、いま私の手に触れるこの木には、壮大なドラマと気の遠くなるような時間の経過がある。 このドラマに想いを馳せるとき、「余すことなく使う」