

職人である前に
先日、鵤工舎の小川三夫様とお会いする機会がありました。 西岡常一棟梁の唯一の内弟子としてご存の方も多いかと思います。 西岡棟梁のもとで修業を積み、昭和52年、独自の徒弟制度による「鵤工舎」を設立。以後、たくさんのお弟子さんを育てられ、平成19年に棟梁の座を引退し、現在は息子の量市さんに会社を譲っておられます。 かなり厳しい方だと緊張しておりましたが、気さくにお話をして下さり、作業場も見せて頂きました。若い職人さんたちが、ひたむきに作業に取り組んでいる姿を拝見し、緊張感のある作業場に、 こちらも身が引き締まる思いでした。 小川さんとお話をしていると、厳しさの中にも深い愛情に支えられた「優しさ」を感じます。 百戦錬磨の棟梁である前に、その人柄に非常に魅力を感じました。 人を育てるということは、並大抵の事ではないと思います。 時には突き放し、時には寄り添い、きっと彼らの人生と共に歩んでこられたのだと思います。 私も会社を預かり、仕事を教える立場になりました。 若手も増え、彼らの人生と共に歩む日々が続いています。 職人とはその道のスペシャリスト。 しかし


手考足思
「手で考え足で思う」。大正から昭和にかけて京都を拠点に活躍した陶芸作家・河井寛次郎さんの 言葉だそうです。 鵤工舎を立ち上げた、小川三夫さんの「棟梁」という本を読んでいて出てきた言葉ですが、 大きな衝撃をうけました。 板をきれいに「へぐ」ためには、五感のすべてを研ぎ澄まさなければなりません。 手に伝わる感触、耳に聞こえる音、目に見える割り肌、そして足に感じる板の粘り。 仕事を始めてまだ17年ですが、 このごろようやく「その木にあったへぎ方」が分かり始めているような気がします。 我々の仕事は「木」という生き物を扱う仕事です。 木をモノとして見ることしかできなければ、手で感じるもの、足で感じるもの、そして 体で感じるすべての感覚を見失う事になりかねません。 頭で考えるのではなく、とにかく「触る」。そして体で感じる。 こういった積み重ねがきっと自分自身を大きく成長させてくれるのだと思います。 「手で考え足で思う」河井寛次郎さんが語った本当の意味は他にあるのかもしれません。 ただ、毎日木と向き合い、試行錯誤を繰り返しながら、肩肘を張っていた私の心の中に