
ひとり言…
ずいぶん秋めいて参りました。 木曽も朝晩は冷え込み、半袖では寒いくらい… とある文化財建造物の保存修理現場での様子をネットニュースで見ました。 杮葺の資材について工事監督の方がお話しされた記事でしたが… 「ここでは杉材を使用しております。この杉は木曽の山で天然サワラやヒノキに混ざって生えていたもので、樹齢は250年~300年ほど。良質なものを選んで杮板に加工しております」 目を疑いました。 私も仕事を始めて20年近くになりますが、この地域で樹齢が250年以上の杉材が市に並んだことは一度もありませんし、伐採されたという話しも聞いたことがありません。 例え出材されていたとしても、当該現場に間に合うほどの量ではありません。 そんないい材であれば、もちろん買っています… 何故、こんな事をおっしゃったのでしょうか? 現場公開は一般の方々を対象としたもの。 しっかりとした根拠と認識をもって、使用材については説明をして頂きたいところですが… とはいえ、それほど問題となる説明ではありませんし、参加者もそこまで求めていないかもしれません。 ただ、私がこういった発言

技の習得は体づくりから
就職活動も終盤戦。 就活生の皆さん、まだまだ時間はあります。 焦らず頑張って行きましょう。 年間数名ですが、この仕事に興味ある学生や就職希望者が会社見学に訪れます。 会社概要や業務内容について説明をしますが、皆さんが一番気になるのが、 「この会社に入って、先ず何をするのか?」 屋根板の加工(木材加工)と言っても、職人と呼ばれる仕事。 当社のHPでも動画や写真を掲載して紹介はしていますが、実際はどうなのか? 入社日。真新しい作業服を着た新入社員に「採用辞令」を渡したら、 「さあ、いくよ」と言って作業場へ。 いきなり大きなコロ太を割ってもらいます。「みかん割」工程です。 選木や玉切りまでは私が行っていますので、切った丸太を割ってもらいます。 これが1年間続きます。 道具の使い方や割り方、節や欠点などの見極めは仕事をしながら、その都度。 「手元」と呼ばれるポジションです。 このポジションは、みかん割のみならず、丸太の選木の手伝いから、皮むき、片付け、他の職人の加工補助、さらには結束作業…ありとあらゆる業務をこなしてもらいます。 実はこの期間が非常に重要

地域企業として
この地で操業を開始してから100年以上が経ちました。 家系をたどると、栃木県栗山村(現日光市)に始まり、移動を重ね、ここに来る前は三重県尾鷲市あたりで仕事をしていたようです。 木曽川で運材していた木材が明治期のダム建設により川下に行かなくなり、木曽の良質な木材を求めて、この地に辿り着いたそうです。 本日、地元中学校で生徒を前に職業講話をさせて頂きました。 企業紹介では、へぎ板の作り方から「それがどこに使われているか」までを説明させて頂きました。皆さん熱心に聴いて下さり、こちらも気合が入りましたね。 現在では重要文化財にしか使われていない、へぎ板(屋根板)ですが、木曽地域では古来から一般住宅の屋根にも使われていたほど身近な物でした。 豊かな森林資源が、我々に多くの恵みをもたらし、人々の生活も豊かにしてきました。 私がこの地に生まれた当時、この村の人口は6,000人。それが今では3,700人ほど。 多くの若者はこの村を去り、都会での就職を選択しました。 この地域に十分な仕事がなかったこともあったのでしょうが、現状を見る限り、その未来は決して明るいもの

伝えるということ
久しぶりの更新です。 私が入社した当初は、身内だけの会社で家内制手工業という言葉がぴったりくるような環境でした。もちろん、会社見学などもほとんどなく、ましてインターンシップ等と言う言葉は、この職場には無関係の物でした。 私も仕事を覚える事で精一杯で、周りのことなどには目もくれず、ただひたすら腕を上げることだけに集中していました。 そんな時、ふと周りを見渡したら、年輩の職人さんの中に若いのは自分ひとり。 「この先、どうやって仕事を進めていくんだろう…」 そう思ってから環境は劇的に変わってきました。採用活動の開始です。 「先ずは知ってもらわなければ」という思いから、作業場を開放して見学に来てもらったり、 職場体験を受け入れたり、もちろん、ハローワークという所に求人票の記載方法を聞きに行って、求人を出してみたり、地元高校の先生と話す機会を設けたり…全てが手探りの状況でした。 その甲斐あってか、次第に若手職人が増えてきました。 つぎは仕事を教える事。実はこれが一番、大変でした。 全くの素人に教えた経験のない会社。人を育てた経験のない会社だったのです。 試