top of page

信州は木の文化

屋根の葺き方に見られる「都(京都)の文化」と、
「信州の文化」の違いから見えてくるものとは…

修繕前の善光寺三門

修理前の善光寺三門(檜皮葺)

信州は木の文化

平成20年に平成の大修理を終えた善光寺三門。修理前は檜皮葺(ひわだぶき)といわれるヒノキの樹皮を用いた屋根工法で仕上げられていました。

 

古来より檜皮葺きは本殿や本堂の屋根に用いられ、杮葺(こけらぶき)よりも格式が上だと言われています。身分によって住宅の屋根が檜皮葺、杮葺と明確に分かれていた時代もあったほどです。

 

もともと檜皮葺や杮葺に代表される屋根工法は都(京都)の文化でした。貴族や将軍家、本山クラスの寺院は檜皮葺を取り入れ、その意匠についても競い合いながら「より美しいしいもの」を追求していったのです。

 

こういった文化が地方に派生し、各地域の大寺院や神社は都の文化を吸収し、職人を都から呼んで屋根工事を行ったのです。都の素晴らしい文化を真似したわけです。善光寺本堂を始め、県内にも檜皮葺建造物が多く存在します。

 

 

葺き替え後の三門

葺替え後の三門(とち葺)

檜皮葺の文化は中部地方にもともとあったわけではありません。「日本の屋根」と呼ばれる当該地方には豊かな森林資源が豊富で、身近なところに良 材がありました。わざわざ皮を採取して屋根を施工するより、木材を使用した「板葺」の文化が発達していたはずです。「外(皮)よりも中(木)」に価値を見 出していたはずです。

 

数年前に三門の平成大修理が行われ、檜皮葺屋根が「とち葺」と呼ばれ る厚板を用いた屋根工法に変更されました。解体調査の際に、屋根裏からサワラの厚板が出てきたことが最大の要因ですが、何よりもこの地方が板葺の文化であ ることが尊重された結果だと思います。また、同じ板葺でも「杮葺」のような薄い板では雪の多い地方では屋根がもたないため、厚み12mmという屋根材が採 用されました。

 

輸送や移動手段の発達した現在においては、全国どこへ行っても同じ施工方法で屋根を葺くことは出来ますが、本来は各地域の資源を生かした屋根工法があったのだと思います。

 

こういった地域文化を考え直すことも伝統技術を守り伝えていくうえで重要なのではないでしょうか?

bottom of page