栗山芳博 (栗山木工 取締役会長)

今でも一番思い出に残っているのは、
西本願寺の葺き替え

INTERVIEW

職人インタビュー

高校3年の春、大学進学を辞めて「木」の世界へ

―― こちらで仕事されるようになった当時はどんな様子でしたか?

 

私は木曽に来て3代目、今の社長が4代目にあたります。ここで仕事をするようになった当時は、製材が主で職人の方が一人だけいて、全体の仕事の1割程度が板へぎでした。

昔はこの辺は民家も板葺で、台風が来ると屋根板が飛んだりして忙しくなったものでした。その後、火事などの関係でトタンや瓦に替わって行きましたね。

―― 小さい頃からこの仕事をされると決めていらしたんですか?

大学受験の勉強をしていたんですが、3年の春に辞めたんです。

―― 3年の春ですか!?

そう、3年の春(笑)。夜中に作業している親の姿をずっと見てきて、模試ばっかりやっていてもどうかなぁ…と思って。小さい時から親の後ろ姿見とったので…。夜遅くまでやってね。今でも脳裏から消えませんね、やっぱり。

辞めるって言ったら担任の先生も怒っちゃってね(笑)。当時の木曽は製材業が盛んで基幹産業でしたけども、ほとんどの人が都会に出て大学か就職で、残る人は珍しかったですね。2人だけ残ったかな。校長先生に呼ばれて頑張れって言われてね。ですから入った当時は製材が中心でした。

 

夜遅くまで作業していた親の後ろ姿が、今でも脳裏から消えない。

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転機が訪れたのは、平成元年

―― 現在は板へぎが100%だと伺っていますが、製材業からだんだんと変化してこられたのですか?

転機が訪れたのは平成元年だったかな。木曽の天然のサワラが少なくなってきて将来的にどうしようかと思って。そこで全国的に大量にあるスギをターゲットにしようと思って徐々に準備を進めてきたんです。平成10年頃だったかな、スギでこけら板を作ってくれって言われて、そのあたりから徐々にこけらの割合が増えました。

―― それまでもずっと板へぎの技を絶やさずに

昔はこの辺ではどこでもへいでいたましたよ。だから古いおじさんなんか来ると「栗山さんまだこんなことやっとるんか」という人がいます。(笑) 「俺は昔にやっとった」って。(笑)

「うちはこれしかないんですよ。バカの一つ覚えでやってます」ってね(笑)

すぐに誰でもできるものではないので、火を消さずにやってきたのがよかったなぁって。どんだけえらい(大変な)時でも、注文なくても辛抱してね。職人さんおったけども、だいたい出そうなものを在庫で作って倉庫いっぱいになってもやっとったしね。「職人さん、今日はいいですよ」って言うわけにはいかんもんですから。私も小さい時から見てきていますからね、すぐにサッと入れた。

仕事場には、板をへぐ(割る)音が響く

今でも一番思い出に残っているのは、西本願寺の仕事

―― 思い出に残る仕事はありますか?

今でも一番思い出に残っているのは、西本願寺の瓦の下葺きの葺き替えだね。200年目の。あれは平成12年、工事は13年14年かな。600坪のね。とてつもなく大きな量ね。それは一番思い出に残っているね、やっぱり。

それで納め通したで、まぁ、その前からおやじの光もあって注文が来とったけども、不可能と思われてたものを納めたってことで、みんなビックリしとったね。「誰が作ったや?」「誰ずら…?」ってやっとったけどね(笑)

―― その時は板へぎは芳博さんがされていたのですか?

息子は研修で行っとったもんですから、私一人でやっとったの。段取りだけしてもらって、朝、木を入れて割るのは私一人で。(笑) あとの方は他の方で忙しかったもんですから、「本願寺は俺だ」って。

あれは大変だった。朝4時から来てやって、夜は12時までやって。

―― 4時から12時までですか!?

私はそんなに手が早い方じゃないもんですから、やっぱり人よりも余分にやらんと、皆のレベルになっていかんもんで…。人より時間かかりますね。

まぁ、よくやったなぁ。50そこそこ、51、2の頃だったなぁ。みんなに段取りはしてもらって、割るばかりにしてもらってね。(笑) ようカラダもったね。マラソンで体力つけとったからな。でもそれよりも、気持ちが強かったかもしれんな。請けちゃったからな。請けちゃったら断れんで。(笑)

手が早い方じゃないので、人よりも余分にやらないと皆のレベルにはなっていかない…

今の若い人も、捨てたもんじゃない

―― 今、若い方も増えていますね。

若い人がやってくれるはありがたいこと、立派だね。だいぶ怒ったりもしたけど、ああやって続けて出てくるしね。もう大丈夫だね。立派だわ。今の若い人はどうのこうの…と言うけれど、捨てたもんじゃないね。やっぱり。

面接した時でも、「こんな地味な仕事だけど大丈夫か?」って聞いたこともあったんだけどね。「辞めた方がいいぞ」って。(笑) それでもやりたいってね。もう育ってきたわ、3人とも。意地あるなぁ…。意地がないとこういう仕事はえらいかもしれなんなぁ。ダメです…って辞めちゃうと。まぁどんな仕事もそうかもしれんな。

―― 「意地」ですか…

私も汗をかいて働くっていうのが昔から好きで、どうしてこういう仕事をしとるんじゃなくて、働くことが好きで、まぁこれがうちの仕事だっていうことで続けて、やらんいかんと思ってやっていたんだけど…。働くっていうことがね、惜しみなくね、そういう姿勢があれば多少自分と合っておらんでもだんだん合ってくると思うんですよ。

今、若い方がね、「自分に合う仕事がないんです」って、就職浪人の方もあるでしょ。そういう姿勢があれば、そこから入り込んでいって仕事に合ってくるようになってくると思うんですよね。まぁ、人それぞれだけどね…

それでちょっと上手になったからって、天狗になったら終わりだしね。常に謙虚な気持ちでね。ただただ、ひたすら。それが仕事ですからね。

今は、社長も一生懸命やってくれているしね、ありがたいことですね。徐々に若い人を増やして行って、今後、わしらがどこで引退していくかってことですね。教えられることはすべて教えて…。

―― 最後に、木曽の木について少しだけお聞かせいただけますか。

木曽のヒノキと、よそのヒノキとは違うしね、木曽のサワラも他のサワラもあるけどやっぱり違うね。 天下一品だね、この木は。木質がね、目が細かいとかね、材質が違う。ヒノキなんか特に優良だね。天下の銘木だね。これだけの銘木はどこを探してもないと思うね。

―― 素敵なお話、ありがとうございました。

ありがとうございました。

ベテランと若手が隣り同士に並び、技を伝える。
「今の若い人も捨てたもんじゃない」

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